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執筆者の写真小屋松明雄

家族を守るために挑んだ清掃事業

更新日:10月14日

福岡から東京へ

私は福岡県の田舎で育ち、自然と共に成長しました。大学卒業後、「大きな夢を持って挑戦したい」という気持ちで東京に移住。都会での新しい生活に胸を膨らませ、最初に就職したのは不動産会社でした。安定したキャリアを築こうと意気込んでいましたが、社会はそれほど甘くありませんでした。

わずか半年でリストラされるという厳しい現実に直面し、自分の将来に不安を感じ始めました。「このまま、この人生でいいのか?」と自問自答しながらも、方向性が定まらずに途方に暮れる日々が続きました。そんなある日の夜、偶然出会ったのがアムウェイビジネスでした。


「自分にもできるかもしれない!」と思い、ビジネスに挑戦

アムウェイというビジネスモデルに出会った瞬間、私は「これだ!」と感じました。「自分も成功できるかもしれない」という期待が膨らみ、20代のすべてをこのビジネスに注ぎ込みました。アムウェイのビジネスは、さまざまなライフスタイルや成功の形を教えてくれ、私の視野を大きく広げてくれました。何度もチャレンジし、成功を目指して走り続けました。

しかし、ビジネスの中では思い通りに進まないことも多く、人間関係のトラブルが次第に大きくなり、ビジネスへの情熱も次第に薄れていきました。最終的には、30代が終わる頃にアムウェイを断念することになりました。「一体、自分の人生はこれで良いのだろうか?」という疑問は、私の中で再び大きくなっていました。


人生の転機:家族と出会い、守るべきものができた

そんな迷いの日々の中で、私の人生は大きく変わります。今の妻と出会い、やがて家族が増えることで、私は新しい責任を感じるようになりました。子供の誕生は、私にとって大きな転機でした。家族を守り、彼らのために安定した未来を作らなければならないという強い思いが芽生えました。

しかし、当時の私は配送業で肉体労働に従事し、ただ目の前の仕事をこなすだけの生活でした。「このままでは家族を守ることができない」という強烈な危機感が、私を突き動かし始めました。今こそ、自分の力で新たな道を切り開き、家族のために挑戦する時だと感じたのです。


37歳での起業:清掃事業「東京クリーナーズ」の設立

その決断が、私を起業へと導きました。37歳で清掃事業を立ち上げ、「東京クリーナーズ」として株式会社FDLを設立しました。これまでの経験や知識を総動員し、ゼロから事業をスタートさせた瞬間、私は新たな責任と挑戦に直面しました。最初は何もかもが初めてで、日々孤軍奮闘していましたが、家族のために一歩一歩進んでいく覚悟を持ち続けました。

清掃事業は簡単な道ではありませんでした。競合他社の多い業界で、どうすれば差別化できるか、どうすればお客様に選んでもらえるかを常に考え続けました。顧客の声に耳を傾け、どんな小さな依頼にも真摯に対応することで、少しずつ信頼を築き、事業は次第に軌道に乗り始めました。


2期目に突入:さらなる挑戦を続ける

現在、東京クリーナーズは2期目を迎えています。起業からこれまで、家族のため、そして自分自身の成長のために日々努力を続けてきましたが、これはまだ始まりにすぎません。これからも清掃事業を基盤としながら、さらなるビジネスチャンスを模索し、事業を拡大していく計画です。

私の挑戦は終わらない。家族を守り、彼らに誇れる未来を作るため、そして私自身がさらに成長するために、これからも挑戦を続けていきます。


人生には多くの転機があり、時には挫折もあります。しかし、それを乗り越えることで得られるものは大きい。私にとって、家族は最大のモチベーションであり、家族のために挑戦し続けることが、私の人生の軸となっています。今後も東京クリーナーズを成長させ、さらなる挑戦へと歩んでいく予定です。




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